気がつけば40代、想像していた未来とは違ってました…
はじめまして、アオガエルです。
現在、妻と娘と愛犬のココ(柴犬、オス4歳)と東京の端っこに住んでいる40代のサラリーマンです。
大学卒業間際に滑り込みで就職した会社は休みもまともに取れなくて、毎日朝から晩まで働かされる会社で、正直「とんでもない会社に入っちゃったな。」って後悔した時には後の祭りでした。
そんな会社で毎日死に物狂いで働いていましたが、ある日、
「いい加減怒られなくなるにはどういう行動をしたらいいんだろう」、「結果を出してるあの先輩と僕は何が違うんだろうか」
ってことを自分なりに研究して、自身のマインドと行動を「セルフリノベーション」した結果、徐々に仕事の結果が出るようになって、同時に人間関係も構築されてきて、気がついたら新卒採用と社内人事を一手に担う「人事責任者」みたいな立場にまで上り詰めちゃいました笑。
そんな僕が、自ら掴んだ「自分らしく」生きるコツや職場の人間関係をうまく乗り切るヒントなんかを、僕の実体験を通してご紹介できたらって気持ちでこのブログを書いていきたいと思います。
もしかしたら、あなたにも共感してもらえたり、参考にしていただけたりしたらメチャクチャ嬉しいので、まずはそもそも僕がどんな人間なのかってことをお話したいと思います。
Contents
僕ってこんな人間なんです…。
僕は、子供の頃から目立ちたがりで、そのくせ人からどう見られているかをめちゃくちゃ気にする子供で、自分の事を見てほしくてすぐすねてみたり、必要以上に騒いでみたり、今思えばいわゆる”かまってちゃん”て奴で、スゲー面倒くさい子供だったと思います笑。
特に、人を笑わせることが好きだったので、小学校時代はお笑い番組やギャグマンガで見た芸人さんのギャグやコントを真似たりして、当時は”クラスの人気者”に位置していたと記憶していたんですが、今振り返るとちょっと自己チューで傲慢な人間だったかもしれません。
そんな比較的順風満帆だった小学校生活を締めくくる卒業式まであと数日という時に、突然40度を越える高熱が3日間ほど続きました。
それまでほとんど病気になったことがなく、多少の微熱なら平気で学校に行っていた(←当時は熱くらいで学校を休む人は少なかったんです)僕が、突然高熱を出したので最初は親も驚いていたんですが、薬を飲んで寝ていれば治るだろうと病院に行くことはありませんでした。
結局、卒業式の前日に熱は下がり同級生たちと一緒に卒業式を迎えることができたのですが、翌日に再び40度近い高熱が出たので、さすがに医者に診てもらおうという事になり、親に連れられてかかりつけの町医者に行ったその待合室で、顔面蒼白の僕を見た看護師さんが慌てて血液検査をしてくれて、検査結果が出るまで空いていたベッドで休ませてくれました。
そして検査結果が出ると、医者から「すぐに紹介状を書くから大きな病院で詳しく調べてもらった方がいい」と言われ、その翌日に市内の大きな病院で3日間ほど検査入院をすることになりました。
それが人生で初めての入院で、当時は高熱が続いていたのではっきり覚えてはいませんが、その3日後には、今度は実家から1時間以上かかる大学病院に移されて、結局そこから1年以上に及ぶ入院生活を余儀なくされたのです。
病名は急性白血病でした。
この時僕は、自分の力ではどうにもできない事が人生には起きるんだということを嫌というほど思い知らされました。
だから、普段の生活においても妙に現実主義的で、ある種、人生を達観したような考え方しかできないようになりました。
そして、ようやく退院して地元の中学校に戻ったときは、小学校時代のクラスメートはいたものの、僕がいなかった1年以上の間にそれぞれが新しい友人関係を構築していたので、実質的には転校生のような扱いで、なかなかクラスや学校の雰囲気に馴染めませんでした。
また、当時は白血病が原因で医師から体育会系の部活や体育の授業を一切されていたのですが、小学校時代は運動会のリレーの選手にも選ばれるくらいで、クラスの中でも運動神経がいいグループに属していた僕に、文化系の部活に入部するという選択肢はなく、結局高校までの6年間を「帰宅部」で終わるという、小学校の時とは真逆の、ある意味アンダーグラウンドな中高時代を過ごしました。
人生の目的を見失っていきついた先は、超ヤバい企業‼
大学に進学したのをきっかけに上京したのですが、6年間の「帰宅部」生活に慣れてしまったせいか、何となく部活やサークルに入るのが億劫になってしまって、男友達と飲みに行ったり朝まで麻雀をしたりする学生生活の中で、特に熱中したことが何もない僕は大学3年の終わり頃に自分の将来を見失い、周りの友人たちが就職活動を本格化しだしたのを見て、何を血迷ったのか
「よし!思い切ってお笑い芸人になろう!」
と決めて、一切就活をせずに養成所に通うための資金を貯めようとアルバイトに明け暮れながら、残り少ない大学生活を相変わらず遊びほうけてテキトーに過ごしていました。
ところが、大学4年の12月頃に突然実家から連絡があり、僕の地元で就活生の親を